高福寺について
| 宗派 | 真宗(浄土真宗)佛光寺派 |
|---|---|
| 開山 | 親鸞聖人 |
| 山号 | 真野山(まのさん) |
| 寺号 | 高福寺(こうふくじ) |
| 開創 | 1333(正慶3)年 |
| 開基 | 不明 中興1世 性全上人(1508没) 中興14世 了然上人(1925没) 近世中興16世 専精師(1995没) |
| 本尊 | 阿弥陀如来 |
伽藍
庭
「涅槃の庭」 昭和の小堀遠州といわれた中根金作(元大阪芸術大学学長)作庭
大蘇鉄(そてつ) 九条武子女史賜
墓所
境内内墓地 合葬墓 納骨堂
寺宝
略歴
| 正慶3年(1333) | 開創 |
|---|---|
| 約500年前 | 村内の寺院を高福寺が統括する 性全上人(1508没) |
| 大正12年(1923) | 中興14世了然師が本堂伽藍を建立 |
| 昭和20年(1945)6月5日 | 神戸大空襲により伽藍焼失 |
| 昭和25年(1950) | 講堂建立 |
| 昭和42年(1967) | 茶室「悠々亭」建立 |
| 昭和56年(1981) | 門徒会館(納骨堂)「自然堂」建立 |
| 昭和57年(1982) | 本堂再建 16世専精師 菅野守三棟梁 |
| 昭和63年(1988) | 鐘楼建立 |
| 平成7年(1995) | 阪神大震災 講堂、山門が倒壊 |
| 平成15年(2003) | 山門再建 現住職 18世光紹 就任 |
古来よりこの付近は真野の里といいました。
『万葉集』に
いざこども 大和へ早く 白菅の
真野榛原(まののはりはら)手折りてゆかむ
とあり、真野山の山号はここからきています。
当寺の記録は戦災で焼失してしまいましたが、先代の記録によると、約500年前に、もと80戸余の村に大日寺、傳(田)福寺、薬師寺、安養寺の4寺があり、村人の仲が悪くなったので、村をまとめるために高福寺を中心と決めて、他の寺はそのもとで協力してくことで落ち着いたということです。
そののちの記録は失われましたが、大正年間に壮麗な本堂伽藍を建立。しかし昭和20年の神戸大空襲で灰燼と化しました。
その後阪神大震災などの災害も経験する中、講堂(震災で倒壊)、門徒会館(納骨堂)、本堂、山門と順次再建され、現在に至ります。
美しい日本庭園とお念仏の薫りただよう、静かな趣のお寺です。
住職紹介
藤末 光紹
高福寺第18世
略歴
| 1980年 | 神戸市長田区・高福寺に生まれる |
|---|---|
| 2002年 | 龍谷大学文学部真宗学科卒業 行信教校・行信仏教学院 修学 |
| 2003年 | 第18世住職就任 |
| 佛光寺派布教使 取得 本山佛光寺機関誌『ともしび』編集委員 | |
| 2016~18年 | 本山佛光寺 安居 副講師 |
佛光寺派学階 助講師
行信教校研究員
掲示伝道において、「お寺の掲示板大賞2018」仏教伝道教会賞を受賞(佛光寺掲示板として)
仏教賛歌法話・しんらん聖人イラスト法話など
こころの法話(おはなしイラスト等)












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